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庄川用水合口事業

庄川用水合口事業

2月 10, 2023 歴史 by higashiyamami

合口計画の促進

合口用水の必要性

庄川から取水している諸用水の取入口を合口して取入堰を協同で築造すれば、より強固なものができ、 しかも築造経贅は分担となり単独で築造するよりはるかに軽減される。また必要水量も、共同堰取入口近くの分水門で人為的に調節すれば、適正な配水ができる。しかし、この案は各用水相互の利害関係で実現し難いものがあった。

下流に取入口を持つ用水側は、合口することを熱望しても、上流に取入ロを持つ用水側は、強く反対するのが常であった。したがって合口事業は、用水側相互の協定だけでは処理できず、外部の力によって実現するよりほかなかった。弁オ天前川除築堤以前は、砺波平野を流れる諸川から取水して、農耕に励む農民から年貢の収納を求める領主が用水取入口を合口し、用水路を整理統合して増収に努めたことは、残された古地図や村有文書からも推測に難くない。そこで藩は、水害による用水復旧エ事の際に、 財政的・技術的援助を交換条件に合口に導く努力をしたが、あまり効果がなく、かえって再び分離することが多かった。 明治になってからも、下流に取入口を持つ用水ほど合口の必要を痛惑しながらも、その実現は容易でなかった。ところが庄川に取入口を持つすべての用水が、その取入口を合ロせねばならない必要に迫られてきた。その直接の動機は、浅野総一郎が大正五年五月、東山見村(庄川町)小牧地内で庄川を締め切り、高堰堤を築造して水力発電を計画し、県へ庄川の水利使用願を提出したことであった。

用水個々の利害関係を相互に主張し合っていた各用水側も、近代科学の粋を集めて築造される小牧堰堤の計画を知って、左岸・右岸・上流・下流の区別なく、どの用水もそれぞれの立場で動揺せざるを得なかった。 まず、庄川を締め切るという高堰堤築造の可能性に疑いを抱き、もしこの高堰堤が流失した場合、その被害の甚大を憂い、またこの発電が他産業に及ぼす影響を考えるにおよんで、農民は用水の利害に無関心ではいられなくなってきた。全川が堰堤で締め切られると、上流から水は流れるが土砂の流出がなく、河床は浸食されて次第に沈下するから、用水の取入口は河床から高い所へ揚げ水しなければならなくなる。したがって取水するには取入堰を高めるか、あるいは上流へ掘り進める以外に方法はないのである。これに対して、材木と竹籠で造った原始的な取入堰には限度があり、上流用水側と下流用水側との間に長年の固執があったにしても、小牧堰堤の築造が決定すると、各用水の取入口を合わせて協同で強固な取入堰を築造しなければならない状態に追い込まれることは容易に予想され、農民の重大関心事となった。

そこで東砺波郡長は大正六年九月、庄川各用水管理者や用水使用の関係町村長とともに、県へ「用水取入ロ改善施設計画」を申請した。県は穀倉地帯といわれる砺波平野の農業用水の重要性を認め、耕地整理法を適用して「庄川農業用水取入口合口計画」の大網を立案した。大正七年七月の県会で、庄合口調査設計費七、〇〇〇余円を可決し、専門技術者を現地に派遣して実地調査を始めた。一方、浅野が計画した庄川水力電気(株)は大正八年、県会議事堂で創立総会を開き、翌九年春、米国から技師を招いて庄川の現地を調査させ、工事設計と施行の委託契約を結んだ。県は派遣技師の調査に基づいて、「庄川筋用水合口計画概要」を公表した。この計画に対し、左岸と右岸の上流用水側は否定的であり、下流の諸用水側は賛意を示した。この賛否の論議も、高堰堤が築造された結果についての経験がないので、それが用水にどんな影響を及ぼすかの判断に迷い、ただ旧慣に固執した主張を繰り返すにすぎなかった。

ところが、大正十二年の関東大震災で庄川水電は資金の調達に窮し、堰堤工事は当分中止せざるを得なくなった。用水側では、取入れの合口計画を促進させようにも左岸も右岸も相互の意志統一が図られず、後述する計画第一案の最善策をたな上げして代案である第二案に傾こうとしたが、これも巨額の建設費の分担で行き悩んだ。そのうちまもなく「用排水幹線改良補助規則」が公布され、国庫半額負担の制度ができたが、その適用は延期された。発電工事を中止した庄川水電の契約を日本電力会社が継承して、大正十四年から本格的に工事を開始した。これに伴い庄川各用水の合口事業も、農林省から専門技官四人が来県して、数ヵ月の本格的調査を行い、国庫補助対象工事と決定した。

左岸用水合口計画

庄川水電が堰堤式発電所建設のため、水利使用の出願をしたことに対し、用水取入口合口に、上流の二万七千石用水側と、右岸の芹谷野用水側は反対し、下流の用水側は賛成したことは前述したが、翌七年、郡長は各用水側を代表して県へ用水合口設計を申請した。県は九年にその設計「 庄川筋用水合口左岸計画案」を完了し各用水側へ公表した。第一案は、金屋地内の庄川赤岩付近にコンクリートで共同取入堰を設け、庄川左岸から取水する山見八ヶ新用水・ニ万石・鷹栖ロ・若林ロ・新又ロ・舟戸ロ・千保柳瀬口の各用水、射水郡の西八ケ・井ロ八ケ・十七ケの各用水の取入口を堰き止め、二万七千石用水と取入口を一つに合口する案であり、第二案は、上流の山見八ヶ新用水・ニ万石の各用水の合口反対を考慮してこれらを除外し、金屋舟戸地内に下流五用水(鷹栖ロ・若林ロ・新又ロ・舟戸ロ・千保柳瀬口)の共同取入堰を設け、新しく水路を開削して舟戸用水路(現庄川中学校グランド東隅)に 導水する案であった。第一案は、築造費の節減、維持管理の適正、庄川護岸の弱点排除など、古来から理想として考えられてきた施策で、県はこの案を最善策として実現したい意志を最後まで捨てなかった。

右岸用水合口計画

第一案は、東山見村と雄神村境界の俗称鼻欠岩付近で、庄川右岸の四用水すなわち三合新・芹谷野・針山口・六ケ各用水の共同取入堰を設け、隧道を作って導水し、芹谷野用水取入口に合併するものである。第二案は、赤岩付近で木框を沈め、芹谷野用水取り入れ口針山口・六ヶ用水を合口し、その用水取入堰は、左岸右岸共用とする。第三案は、上流芹谷野用水の合口反対を考慮して、芹谷野・三合新の二用水を除き、元雄神橋付近五郎淵で針山ロ・六ヶニ用水の共同取入堰を設け、隧道で導水する計画案であった。

右岸の合口計画によると、第一案は左岸二万七千石用水取入口のさらに上流に設けることとなるので右岸は満足するが、左岸は当然反対することは容易に予想される。第二案の取入堰は、文面に表現されていないが、左岸合口計画の第一案の堰堤と同位置になって、左岸と右岸が共用することになると考えられる。取入ロに木框を沈めるエ法も左岸の同一線上か、左岸堰堤の真上か真下に取入口を設けることとなるので、県の右岸最善策は第二案と察せられ、第三案は次善の策として県は関心を示さなかった。

二万七千石用水の合口反対

大正九年県が公表した「庄川筋用水合口左岸計画案」に対し、二万七千石用水側は東砺波郡役所へ合口反対の建議書を提出した。その主張は、⑴従来赤岩の地の利を得た好取入口から大量に取水しても用水末流では不足するので、 合口して他用水へ分水することはできない⑵庄川取入用水中の最上流にある特権を合口によって失いたくない、という理由であった。

二万七千石用水側では、その関係者が合口に反対しているのに、管理者である郡長が下流諸用水の合口賛成の代表として、県や電力会社と合ロ促進の交渉をしているのでは矛盾しているとして、郡役所内にある二万七千石用水組合事務所を用水関係町村役場のうちの一カ所へ移し、用水管理者を用水関係町村長の一人に指定して、郡長の管理を廃する請願を県へ提出し、二万七千石用水の合口反対の立場を強めようとした。

左岸用水合口計画の推進

大正九年九月二十日、芹谷野用水(三合新用水を含む) 六ヶ用水・針山用水関係者 は県庁で合同協議を行い、「庄川筋用水合口計画概要」を 認め、事業費・維持費・分水方法・管理者・議員数など右岸合口の協定事項八項目を承認し、あわせて翌十年から庄川右岸耕地整理組合を発足させて、積極的に事業を推進することをも約した。芹谷野用水は右岸最上流の取入口用水なので、左岸の二万七千石用水側が主張したのと同じように特権を主張した。芹谷野用水の条件は、⑴合口永業費は一切負担しない⑵維持費は二割だけ負担する(三合新を除く)⑶用水議員数は三合新を除く半数であること⑷発電計画を立てて県営事業にする、など上流に位置する取入口優位の立湯を主張して譲らないので、合口の促進は中断し空白の状態が数年もつづいた。

用水合口の啓蒙

富山県は先に、「庄川筋用水合口計画概要」を公表したが、一部の有識者を除く一般農民は積極的な反応を示さなかったが、二万七千石用水側に至っては、直ちに反対運動をはじめた。そのため県は合口の趣旨を解説した長文の印刷物を農民一般に配布して、その啓蒙に努めた。その要旨は⑴これまでの材木と竹籠の取入堰では洪水ごとに流失するので、鉄筋コソクリー トの堰堤を造る⑵小牧堰堤がでぎると上流から土砂の流下がなくなるので、真っ先に二万七千石用水取入堰が困難する⑶建設費用は巨額でとてもー用水で負担できないが、合口すれば国費・県費補助があり、諸用水で費用を分担すれば、これまでの方法より安価になる⑷取入堰維持は、コンクリー ト堰であるから永久に破堤しない。費用はこれまでの一割で十分である⑸このままにしておくと、河床が下がって取入堰築造費は増加するばかりである。

用水取入口よりさらに上流の小牧地内に、庄川全川を締め切る発電用高堰堤の築造が数年後に迫っていることを、農民はよく知っていたが、用水相互の利害関係を乗り越えようとしても越えることのできない状態がつづいた。しかし大正十四年、小牧堰堤のコソクリート打ち込みが始まり、用水合口工事費に国庫・県我補助が決定され、あわせて工事費の受益者(農民)負担を 関西電力が雇代わりし、その代償として合口水路に発電事業を付設する見通しが立つと、急速に庄川全用水の合口意見が統一の方向に傾いてきた。合口計画概要によると、左岸合口費一三五万九、〇〇〇円、右岸合口費九三万九、〇〇〇 円、合計約ニ三〇万円の巨額となりその支弁に行き悩んだが、大正十二年、用排水幹線改良補助規制が公布され、五〇〇町歩以上の用排水幹線改良事業に対し国庫補助五割、県費支出ニ~三.五割になると、地元負担は一.五~三割にすぎなくなった。十三年七月二十三日、 農林省技官四人が来県して、三カ月間にわたって庄川左岸用水合口事業の実地調査を、また十四年六月十一日からニカ月間庄川右岸用水合口事業の実地調査を行い、先に県が設計した合口計画を適当としてこれを是認した。それは左右両岸の全用水量を左岸の二万七千石用水路に全部取り入れ、水路の末端(舟戸地内)で右岸に必要な水量をサイフォ ンによって庄川を横断させ、導水するという設計であった。また、庄川最下流射水郡西八ケ    井口八ヶ・十七ケの三用水に対しては、ここへ分水する最は、庄川全水量からみてその要求を満たし得ない。その上、導水路が長すぎて工費が高額になるとの理由で、県の設計から除外された。そして事業総経披二三六万七、〇〇〇円を見積もり、農林省は大正五年国庫補助を県に交付した。

左岸用水合口計画の促進

国庫補助を受ける見通しが立つと合口運動が活発に開始された。大正九年公表の「庄川筋用水合口左岸計画案第二案」の実現を図るため、東砺波郡長は十二年六月二十五日、左岸下流五用水、鷹栖ロ・若林口・新又ロ・舟戸ロ・千保柳瀬口の関係者の集合を求め、五用水だけの合口施行を協定した。「 五用水ノ合ロハ灌漑水ノ均等統一ヲ期スル上二於テ目下急務ト認ム。依テ県営事業トシテ之ガ施行方ヲ知事二陳情」することを申し合わせた。その陳情の要旨は、灌漑水の潤沢は農業開発上最も重要なことである。舟戸ロ・鷹栖ロ・若林ロ・新又・千保柳瀬口の五用水は庄川左岸に取入れし、東西両砺波郡ニカ村四、 五〇〇町歩か灌漑するが、五用水は各々取入口を異にし、しかもその位置が適当でなく、水路は勾配曲折して通水をさまたげ、常時灌漑の困難を訴えてきた。夏季渇水期になると耕地はたちま灌漑不能となり、米収を損ずること甚大なものがある。もちろん毎年多額の費用を投じて、用水導入の維持管理に努力を払っているが、毎年莫大な干害に悩まされ、農家の困憊、用水関係者の苦慮忍ぶに堪えないものがある。

現在の用水路は農耕の進まない遠い以前の開設であって、水路に幾多の欠点があり、この維持管理に多額の経費を支出しても、到底満足な結果を見ることはできない。ここに用水関係者は、県が示した方案に従へっ五用水の合口を試みんと期しているが、幸い県・郡の指導奨励に基づき合口の機運も大いに熟し、関係組合員も合口促進を期するという意見の一致をみるに至った。しかしその実現には二百数十万円の巨費を要し、今日の農業経済の状態では到底その負担に堪えることはできない。これを県事業として計画実行する場合は、政府において相当額の補助の途が開かれ、好機到来すれば、もちろん県の施行に対して関係住民は、経費の一部負担は覚悟の上であるから、住民の苦衷を洞察せられ、右事業施行に着手し、地方農業の開発に援助されんことを請うものである。

二万七千石用水の参加

下流五用水は合口施工を要請し陳情に熱心であったが、上流三用水を合わせた二万七千石用水側は依然として優位性を固執して同調しかねてい た。しかし赤岩に天恵を誇る取入口を持つ上流二万七千石用水といえども、そのまた上流の小牧地内に高堰堤が築造されると、将来通水上大苦境に立たねばならないことは必然であり、早晩合口に参加せねばならない運命にあることは明白といわねばならなかった。大正十三年東砺波郡長は、とくに二万七千石用水のために草案した合口条件を提示しその同意を促した。  その条件案の概要は、

⑴合口に要する事業費は二万七千石用水組合は負担しないこと⑵合口後における維持費は総額の六分の一以下にして、従前の用水維持に要した五ヵ年平均額を越えないこと⑶合口後における用水組合常設委員は、総数の半数を二万七千石用水関係区内において選出すること⑷合口後の二万七千石用水に対する配水は、従前の取入量を減じないこと⑸現在の用水路のうち、合口用水路に充用される箇所は、二万七千石用水組合で買い入れた価額をもって譲渡し、その他の諸工作物は無償で提供すること⑹用水を流材に使用した楊合、その使用料は二万七千石用水の収入とすること

大正十四年六月十八日、二万七千石用水議員並びに関係町村長が集まって大協議会を開いたが、合口賛成は得られなかった。しかし、小牧堰堤工事が着々と進行するのを見て、合口の絶対反対を固執しきれない情勢に迫られていた。同年七月、二万七千石用水関係町村長会で、合口について賛否を表決したところ、条件付賛成六ヵ村、反対三ヵ町村、保留一ヵ町であった。そこで二万七千石用水議員会は翌八月、四日間にわたって継続協議を行い、郡長提案の条件を修正して合口に賛成することに決した。その修正案の骨子は、水量は二万七千石用水に必要な分を自由に取入れできること。合口用水の取入口は、  右岸用水の対岸より上流であること。合口工事に要する費用は二万七千石用水では一切負担しないこと。また、合口後における費用は、合口した各用水の平均率の二分の一以内であること。合口後の水利組合議員の数は、二万七千石用水管内においてその員数の半数以上を選出し、常設委員・紀水委員もこれに準ずることなど、一二項目にわたるものであった。

左岸用水合口の意見一致

左岸用水合口の意志を統一するには、上流に位する二万七千石の合口条件を、下流の五用水側に提示して協議しなければならなかった。郡長は大正十四年十月二十一日から両者間の斡旋に乗りだし、二万七千石用水組合議会議長以下六人の議員と、下流五用水管理者五人との間で交渉を開かせ、翌年二月二十一二日までに折衝    二回を重ねた。  初めは双方が主張点

を説明し、 相互理解のための情報交換を行う程度であったが、 会を重ねて、  取入れ水簸・エ法・経費分担・水門管理権・役員定数など各項の折衝に入るとたちまち峻烈な舌戦を展開し、  交渉が決裂状態になったことも二度や三度ではなかった。  しかし幾度かの郡長の仲介でようやく六カ月後の十五年二月二十三日、  全条件の折衝を終えて妥協案を成立させ、  上流下流用水議員および関係町村長などを網羅した左岸用水合口期成同盟会を結成し、  合口目的の貰徹に一路邁進することができる態勢を整えた。  協定した合口条件を将来に確証するため、  次の覚書を交換した。

庄川左岸用水合ロニ関スル協定覚書

二万七千石用水組合(二万石、新用水及山見八ケ)卜舟戸ロ・鷹栖ロ・若林口   新又ロ・千保柳瀬ロノ各用水組合トノ間二庄川左岸用水合口施行二付、之ヵ条件ハ各組合会ノ決議ヲ経テ合意シクルコト左ノ如シ

第一条   当事者間二於テ合口施行二付之ヵ条件左ノ通リ協定シタ

一、合口後二於ケルニ万七千石用水ハ、必要水量ヲ旧慣二依リ優先二取入ルコト

二、二万七千石用水ハ合口費用ヲ一切負担セザルコト

三、二万七千石用水ハ合口後、毎年維持費ハ総額ノ六分ノ一以下ニシテ従前二万七千石用水維持費二要シタル五ヶ年乎均額ヲ超ヘザルコト。但シ、天災地変二依ル災害復旧費ハ此ノ限リニ在ラズ

四、合口後ノ組合会識員定数ハ五〇名トシ、二万七千石用水管内カラ、二〇名選出スル

五、流材使用料ハ従前通リ、二万七千石用水デ収受スル

六、合口創立委員ノ選出ハ県ニ一任ス(既二遜出済)

七、合口後の組合管理者ハ、二万七千石用水管理者ヲ以テ充ツ

八、合口用水取入ロハ右岸用水ノ上流タルコト

九、二万七千石用水ノ所有スル、敷地、付属物ハ県二無償デ貨与スル

十、二万七千石用水ノ取入ロハ幹川天場ヨリニ尺低下スル

一一、二万七千石用水分派箇所ハ、東山見村金屋二、 五一三番地二於テ水門ヲ設置スル

一二、二万石用水取入分派ロハ幅六間トシ其ノ分派口ハ幅七尺五寸ノ門扉四個ヲ設置スル

一三、合口幹川ハニ万七千石用水川底ヨリ六尺以上高位ヲ通川スルコト

一四、合口後二万七千石用水取入分派ロニ設置スル水門ハニ万七千石用水組合デ管理スル

一五、二万七千石用水路ハ、合ロニ付幅員拡張ハ妨ゲナキモ、底掘ハ絶対為サザルコト

一六、新用水ハ高処ヲ迂回スルヲ以テ取入ロハニ尺以上落差ヲ設ケ、水門根太ノ幹川堰天場ヨリ一尺以下低下シ、従前通リ水門ハ三扉トナシ、水量ヲ分配呑込マシムルコト

一七、山見八ケ用水ハ電動機ニテ揚水スル計画ナルモ、右機械揚水ハ不安定二付、別に取入ロヲ設クルコト

一八、以上ノ条件ハ将来如何ナルコトアルトモ永遠二変更セザルコト

第二条   前条ノ協定条件事項ハ、庄川合口用水普通水利組合創立ノ際、組合規約二之ヲ規定シ、永遠二之ガ実行ヲ確保セシムモノトス

第三条    庄川合口用水組合管理者ハニ万七千石用水管理者二指定スル様知事ニ具陳ン。其ノ実現ヲ期ス

第四条 所定ノ設計ヲ施行セザルトキハ、用水合口契約ヲ無効クラシムルコトヲ得

第五条 組合費賦課二際シ本契約二相違セルトキハ、二万七千石用水二対シ他用水二於テ連帯賠償ノ資 二任ズ

第六条 合口用水組合ヲ解散スルモ、二万七千石用水ハ其ノ権利ヲ継承シ、合口用水組合ノ存立スル限リ、本協定ノ効果ヲ存続スル

第七条 常二信義誠実ヲ旨トシ、旧来の慣行及沿革ヲ稽へ互二本協定ヲ遵守スベキモノトス

右ノ通リ協定セシコトヲ証スルタメ、九通作製シ、各組合管理者署名捺印シ、各組合二其ノ一本ヲ保有スルモノトス

昭和二年五月九日

二万七千石用水普通水利組合管理者

二万石用水普通水利組合管理者   野   尻   村    長

新用水普通水利 組合管理者 高   瀬   村    長

山見八ヶ用水普通水利組合管理者 南  山  見 村  長

舟戸口用水普通水利組合管理者  中   野   村 長

鷹栖口用水普通水利組合管理者 鷹   栖   村   長

若林口用水普通水利組合管理者   出   町   町   長

新又口用水普通水利組合管理者   庄   下   村   長

千保柳瀬口用水普通水利組合管理者 太 田 村 長

左岸用水合口の意見一致

用排水幹線改良規則が公布されたことによっ て、県は右岸用水合口反対の局面を打開する見込みがあるとして、「 庄川筋右岸合ロニ関スル 委員会協定事項」を協議するため、右岸四用水議員および関係町村長を召集して合口事業促進について勧奨し、ようやく促進の気運に向かったが、芹谷野用水組合では、右岸上流取入水利優先権の立場をとり議論百出してまとまらなかった。十三年、芹谷野用水議員が改選されたのを機に県は新議員を召集して、庄川河身の変化状態から将来を考えると、芹谷野用水の取入口は左岸二万七千石用水同様に危険が迫っているから、合口は急務であることを説明し、長時間にわたって協議を重ねた結果、合口施行の方向に機運が傾いた。十四年二月、芹谷野用水側は関係町村の意見をまとめ、条件を付して合口施行を可とする意見の一致を表明した。この際の芹谷野用水側の条件は次のようなものであった。

⑴雄神村庄地内は三合新用水を広げて導水すること⑵ 谷内川へ悪水を排出しないよう設備すること⑶合口後の維持費は芹谷野用水(三合新を含む)三分とあるが、芹谷野用水で二分、六ヶ・針山・三合新用水で八分負担すること⑷現在の六ヶ・針山用水取入口敷地は合口後閉塞して、その不用となった敷地を無償で芹谷野用水へ譲渡すること

この上流の芹谷野用水側の合口条件に対して、下流の六ヶ用水は平等の立場を主張して譲らなかった。  六ヶ用水側の条件は、⑴事業費の負担は芹谷野用水を除いているが、三用水(芹谷野・六ケ・針山)水当高旧石数によって平均に分担すること⑵合口後の維持費・用水議員数は水当高旧石数によって平均に分担すること⑶現在の六ヶ・針山用水取入口は今後一〇年間存置すること、などで、上流用水側と下流用水側の間に条件の対立はあったものの、情勢は三用水とも合口賛意に傾いてきた。十五年二月、東砺波郡長は芹谷野用水側に対して、「庄川右岸二取入ロヲ有スル芹谷野用水並二針山用水・六ヶ用水ヲ合ロスルハ、農業水利上極メテ有益ナルヲ以テ、合口計画実施ヲ本県二申請セムトス。仍テ組合ノ意見ヲ諮フ」と正式に諮問を発してきた。それに対し、芹谷野用水側は郡長の提示した原案を全面的に了承し、翌日意見を答申した。

小牧の発電堰堤工事が着々と進捗しているにもかかわらず、用水の合口条件に「 水当高旧石数二依ル平均分担」を主張して芹谷野・六ケ・針山各用水側間の折合いがつかず、三用水合口の足並みが乱れていたが、「 合口急務」の事態に追い込まれ、六ヶ用水を除外し芹谷野・針山二用水だけで合口を進めていくよりほかに方法はなかった。しかし、六ヶ用水の脱落は他日に悔いを残すものであることを遣憾とし、右岸有志が説得に努め、大同団結の必要性を強調した。六ケ用水側は右岸有志の説得で、独自の条件を撤回して合口に賛成の態度を明らかにした。これで三用水の足並みがそろったので、十五年六月十一日、右岸用水合口期成同盟会を結成した。

出典:庄川町史

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