天正十一年(1583年)前田氏が加賀藩主として入国した当初は、前領主の旧来の農政をそのまま引き継いでその慣習を重んじ百姓を仕つけ農耕に努力させた。しかし十五、 六年ごろになると百姓と一部の庄屋や名主の間にわだ
Read More 村々の草高 高というのは、一定の土地の収益を定める根本の数量を見積もったもので、「禄高」とか単に「高」といわれていた。この禄高には古来種々の名称があって、貫高といった時代は高の数を何千買といい、俵高といった時代は何千俵と
Read More 百姓年中行事 百姓の農耕は 一年十ニカ月の間になすべき 作業 は年中行事として定まっていた 。 一月 四日ごろから山方、 里方の村ともに農具の手入れを行う。 馬具
Read More 松川除築堤 庄川の洪水と流路の変遷 庄川のように扇状地面を流れる河川は、洪水で堤防が決壊すると流水は等高線に直角に流下して、農作物はもちろん耕地を洗い流し大量の砂礫で埋没させ、場所によっては家屋までも破壊流失させる。 &
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