• 自然豊かな富山県砺波市の東山見地区で田舎暮らしはいかがですか

月: 2022年7月

南北朝と壇ノ城

内乱の背景 鎌倉幕府の滅亡後、後醗醐天皇は自ら政務にたずさわり、徹底した王土王臣思想に基づく専制支配を実行した。個別安堵法の発布や国司制度の復活は、天皇自身の政治理念を具体的施策として打ち出したものであった。しかしその施
Read More

三谷の里

西行塚 三谷の県道わきに西行塚といわれる一画がある。高さ170cm、 輻90cm、厚さ40cm余りの石碑が建っている。この西行塚は県道のできる以前はもっと大きく、そこには、西行桜という桜の老木があり、西行庵跡と
Read More

金屋の鋳物師

鋳物師の起源 中世における庄園制の発達は一方で産業の分化をうながしたが、原始工業も営まれ、なかでも金属業と織物業は、その主要な部分を占めるものであった。交通・運搬の思うにまかせぬ時代において、ことに金属工業は原料の産出と
Read More

隠尾城と里山

隠尾城 長尾為景の跡を継いだ晴景に代わり、頭角をあらわしたのは上杉謙信(為景の子景虎=輝虎)である。小田原城(神奈川梨)の北条氏を攻撃していた謙信は、急きょ軍を越中に進めて椎名氏を援助した。  永禄三年&nbs
Read More

金剛山恩光寺

増山城主の菩提寺 いま福野町にある金剛山恩光寺は、 もと庄川町の金剛寺村にあった。その開基は増山城主神保氏であり開祖の月桂立乗禅師は、中新川郡立山町の眼目山立山寺を開いた大徹宗令禅師の十九哲の一人といわれている。神保氏は
Read More

藩の創始と砺波郡

前田氏の領土 越中は、 天正八年(1580年)以来佐々成政が領有し、富山に居城した。成政は秀吉の天下統一を快しとせず、徳川家康と 織田信長の遺子信雄 を擁して反抗しようとした。十二年、秀吉方の前田利家は成政と能登末森で戦
Read More