カテゴリー: 庄川町について

庄川町の始まり

縄文のふるさと 生活の舞台 わが国が、 まだ火山活動の激しかった洪積世のころには、  氷河の影想を幾度かうけ、 気候や動物の種類も現在とはかなり違っていた。この時代に、人々が生活していたと考えられる遺跡は、ロー
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古代・中世の村々

雄神川と雄神神社 万葉集と雄神川 雄神河くれなゐにほふをとめらし淑附とると瀬に立たすらし この歌は『万葉集巻十七』に「砺波郡雄神河の辺にて作れる歌一首」とあり、越中万莱歌の代表的秀歌とされている。大伴家持は、その若き日に
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南北朝と壇ノ城

内乱の背景 鎌倉幕府の滅亡後、後醗醐天皇は自ら政務にたずさわり、徹底した王土王臣思想に基づく専制支配を実行した。個別安堵法の発布や国司制度の復活は、天皇自身の政治理念を具体的施策として打ち出したものであった。しかしその施
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三谷の里

西行塚 三谷の県道わきに西行塚といわれる一画がある。高さ170cm、 輻90cm、厚さ40cm余りの石碑が建っている。この西行塚は県道のできる以前はもっと大きく、そこには、西行桜という桜の老木があり、西行庵跡と
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金屋の鋳物師

鋳物師の起源 中世における庄園制の発達は一方で産業の分化をうながしたが、原始工業も営まれ、なかでも金属業と織物業は、その主要な部分を占めるものであった。交通・運搬の思うにまかせぬ時代において、ことに金属工業は原料の産出と
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隠尾城と里山

隠尾城 長尾為景の跡を継いだ晴景に代わり、頭角をあらわしたのは上杉謙信(為景の子景虎=輝虎)である。小田原城(神奈川梨)の北条氏を攻撃していた謙信は、急きょ軍を越中に進めて椎名氏を援助した。  永禄三年&nbs
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金剛山恩光寺

増山城主の菩提寺 いま福野町にある金剛山恩光寺は、 もと庄川町の金剛寺村にあった。その開基は増山城主神保氏であり開祖の月桂立乗禅師は、中新川郡立山町の眼目山立山寺を開いた大徹宗令禅師の十九哲の一人といわれている。神保氏は
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